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ネムルバカ / 石黒正数

「それでも町は廻っている」で知られる石黒正数「ネムルバカ」を読んだ。

「それでも町は廻っている」は読んだことないがギャグ漫画だということは知っている。なので「ネムルバカ」もギャグ漫画なのだと思って読んだのだが、これがギャグ漫画には思えなかった。
自分には人間ドラマかはたまたドキュメンタリーか、個人的に最も近かったのはホラーかな…。


大学の女子寮で暮らす二人。センパイは大学に通いながらインディーズバンドを組んでいる。いつの日かメジャーデビューすることを望み日々切磋琢磨している。
一方コウハイはなんとはなしに一日を過ごしている。夢はなくて一日をなんとはなしに過ごしている。
自由で夢に溢れ、だが現実を少しずつ見えるようになってきた"大学生"の日常をユーモアと痛さをもって描いた作品。


とにかく自分の立場上この作品はかなり痛かった
痛いといっても引くほうではなくて心に刺さってくる痛さ
自分の現実が夢があるコウハイのような者なので登場人物たちの現実や夢に対するセリフがグサグサと刺さってきた。
例えば...
「妄想ってのは妄想の中でウソを演じてる限り絶対実現することはありえないの」

「デカすぎる目標を立てるのは何も出来なかった時のカモフラージュかもしれないけど、やりたいことがないって公言するのも何も出来なかった時の言い訳なんじゃね?」

などのセリフも骨身に沁みたが、強烈にインパクトに残ったのが「駄サイクル」

「駄サイクル ― 私の造語 ぐるぐる廻り続けるだけで一歩も前進しない駄目なサイクルのこと 輪の中で需要と供給が成立しちゃってるんだよ 自称ア~チストが何人か集まってそいつら同士で見る→ホメる→作る→ホメられるを繰り返しているんだ それはそれで自己顕示欲を満たすための完成された空間なんだよ」
「で 自称ア~チストってのは常々やってて楽しいと思える程度の練習はするが本当に身になる苦しい修行はツラいからせず・・・一方的に発表できる個展はするが正式に裁きを受けるコンペやコンクールは身の程知るのが怖いから出ず・・・馴れ合いの中で自分が才能あるア~チストだと錯覚していく・・・駄サイクルの輪は自称ア~チストに限らず色んな形でどこにでもある…たぶんここにも―」


もう見ていられなくなりそうだった。
まるで自分のことを言っているようで目を逸らしたくなった。
自分の場合は自称ア~チストな仲間を作っていないが駄サイクルの輪には確実に嵌っている。
やってて楽しい程度の練習はするけど苦しい修行からは逃げている。
実際理解している。努力をしなければ先には進めないこと。なのにその努力ができていない。
難しい…。


自分のことばかり書いてしまったが「ネムルバカ」自体は体裁としてはギャグマンガに分類されるので痛い部分だけではなくて笑えるところもいくつもある。
そんなギャグ漫画な日常が描かれている作品のほんの数ページにはっとさせられるものがあるから怖いのだけれど…。


しかし、こんな風に魅力的に日常を描くのなら「それでも町は廻っている」も気になるなぁ。

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WORLDS / 藤崎竜

封神演義や屍鬼などの漫画で知られる藤崎竜の初期作品を集めた短編集WORLDSを読んだ。

今ではその独特のタッチと世界観を確立している作者だが、この短編集ではまだまだ荒削りで自分の道を模索している様子が窺い知ることができる。
正直な感想を言えばストーリーの展開はかなり無理矢理。
作品のテーマ『自分の生きているこの世界は夢なのではないか』『人間が管理される社会』など面白くはあるのだが説得力にかけている。

だが繊細な絵のタッチと奇抜なテーマにも臆することなく描く姿勢は今でも根っこの部分に宿っているのだろう。
現在の藤崎竜の作品を見ればそれがよくわかる。

屍鬼は小野不由美の小説を原作とした作品だが、この作品は小説自体がとんでもない。
この作品自体が化け物のようなモノであるのに藤崎竜は独自の世界観に引き込み描ききっている。
キャラクターは藤崎竜らしいタッチで描き舞台となる外場村はリアリティある絵で描いており、絵のバラエティもかなり広いようだ。
ストーリーも原作に忠実に描いているが、原作を壊さないように自分なりの展開も見せている。


WORLDSは作品自体は決して良くできているものではないが、藤崎竜が漫画の世界に進む一歩となった作品である。
荒削りだが原石としての輝きを持っており惹かれる要素の多い作品であった。



冲方 丁原作のモンスターヘビーノベルを大今良時(ちなみに女性)で漫画化されている本作マルドゥックスクランブル。
4巻は楽園での新たな人物との出会い、ウフコックとバロットの絆の行方、そして追跡者ボイルドの追撃が描かれている。

原作でも一呼吸置く場面ではあるのだが、カジノシーンへの布石として、ストーリーにもキャラクターたちにも重要な意味もこめられている楽園シーン。

さて、大今良時自身も一呼吸つきたくなったのだろうか?
何だかとても中途半端に描かれている。
可愛らしくポップな絵でありながらメリハリをつけ可愛くなりすぎないように、おかしくなりすぎないように描いてきていたのに今回の巻ではどこかその絵の描く方向性に疑問を抱いてしまった。
大今良時はこのマルドゥックスクランブルという作品の読者層を自ら選ばないようにこの絵のこのポップさで重すぎなく描いてきたのだと思う。だから原作以上に触れやすかったのだ。
しかし、それもこんなふうに空回りしてしまうと何とも幼稚に見えてしまう。
マルドゥックスクランブルは本来情報量に満ち知的で圧倒的に重苦しくも同時にとてつもない熱量があった作品のはずだ。
それがこんなふうに描かれているとまったく別のマルドゥックスクランブルとは言われても納得はできるはずもない。

次巻のカジノシーンは大丈夫なのだろうか?
カジノシーンはマルドゥックスクランブルで最も印象的で熱を帯びたシーンだ。
このカジノシーンで軌道修正をしないと原作を知っている読書も知らずに入った読書もなくすことになるだろう。
次巻こそ大今良時の力量が試される。



RAINBOW-二舎六房の七人-でその画力を遺憾なく発揮し、安部譲二の原作に臆することのないインパクトを持った作品を作り上げた柿崎正澄。
その柿崎正澄が原作者をつけずにオリジナル作品を描いたというのだから、期待は否が応でも高まってしまう。
その画力で次は何を描いてくれるのかと。

意外や意外、何とホラー作品だというから驚いた。
表紙から何ともおどろおどろしく開くことを躊躇してしまうような雰囲気を醸し出している。
そして柿崎正澄は、やはり変わることはなかった。


画力だけは…。
オリジナル作品だということから期待していたのだが、開いてみると何のことはない。
ホラー映画の焼き増し作品だった。
ディセントにヒルズハブアイズなどのホラー作品がふと浮かび上がる。そこにはオマージュは感じられない。あるのはコラージュだけだ。
コピー&ペーストによって作れた作品だ。そう断言してしまっていい。

やはり柿崎正澄にはその画力を活かすことのできる原作者が必要だ。画力だけでは生きていけない世界、このままではその画力も埋もれてしまうだけだろう。


ウルトラヘヴン 
小池桂一

安易な気持ちで手に取ったら飲み込まれる。

ウルトラヘヴンはペーパードラッグ、サイケデリック・コミック、アシッド・コミックなどと巷で呼ばれているが、まさにその通りだった。

まったく関係はないのだがアルフレッド・ベスターの「虎よ、虎よ!」「ゴーレム100」のタイポグラフィを見たときの衝撃に似ていた気がする。
と言うのも現実から幻覚へのトリップ具合がタイポグラフィに似ていたというだけなのだが…。

どういうかたちにせよこの視覚効果による擬似トリップ感は半端じゃない。
膨大な情報量が漫画のコマを越えて溢れ出してくる。

雰囲気としては「トレインスポッティング」だが視覚的には「レクイエム・フォー・ドリーム」かな。
そして音楽はやはりアンダーワールドだな。


ただこの小池桂一という作者、大体4年ごとに新刊を出してはまた消えてしまうというかなりスローペースな作者のため本作も2002年に1巻が出版されるも、現在までに3巻までしか発売されていない。

そのまま打ち切りというかたちにならなければいいのだが…。
このトリップの先に何があるのか、幻覚の向こう側まで誘ってもらいたい。

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