
”核”というテーマを根元にシリーズを作り続けてきたメタルギアシリーズの最新作である『Metal Gear Solid Peace Walker』はメタルギアシリーズの根本にある”核”というテーマと随伴して相反関係にある”平和”がテーマとなっている。
それは小島作品のある意味一つの到達点とも言える作品のように思えるのだが、しかしここ最近の小島作品を改めて見返すとその心配は自ずと高まってしまう。
PS2までのメタルギア作品のクオリティは確かに高かった…というよりも2作目にあたる『Metal Gear Solid 2 Sons Of Liberty」が余りにも杜撰な作品だったにも関わらず、それを帳消しにしてしまうほど3作目『Metal Gear Solid 3 Snake Eater』が素晴らしすぎた。それ故にPS2時代に出たMetal Gear Solidシリーズが素晴らしかった印象を受けてしまうのだが…。
しかし次世代機であるPS3で発売された『Metal Gear Solid 4 Guns Of Patriot』はMetal Gear Solidシリーズの完結作品であると言われ、発売前に配信された予告動画には期待せざるを得なかったのだが、いざクリアしてみると何とも中途半端なB級作品に仕上がっていた。巷で言われるムービーが長すぎるという評価は個人的には気にしていない。それ以上に基礎であるストーリーを評価できないのである。
そしてPeace Walker以前にPSPで発売されている『Metal Gear Solid Portable Ops』の陳腐で幼稚なストーリー。
ここ最近の小島作品からはPeace Walkerも大きすぎる期待を得ないようにしていたのだが…。
やはり本作も何とも中途半端な作品であった。
ここ最近の小島作品の「やりたいことが多すぎてまとめきれていない」という特徴を本作も引きずっており、ストーリー以上に他の要素に手を出しすぎたがために何だか納得のいかないストーリーとなっている。
そして時代背景と自作のMetal Gear Solidシリーズの時代背景に食い違いが起こっているのだ。
”平和”そして”核”というテーマを伝えようとする姿勢は高く評価できるのだが、それを薄めるようなつまらない要素ははっきり言っていらなかった。
小島監督は自らの作品をもう一度見つめなおす必要があると感じる。
ネームバリューだけ肥大化していく、この自己満足作品は次作ライトニングボルトアクション「Metal Gear Solid Rising」で極まることになるのだろうか…。
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