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CIDADE DE DEUS
CITY OF GOD
GOD'S TOWN(邦題:シティ・オブ・ゴッド)
2002年 ブラジル 130分

監督:フェルナンド・メイレレス
共同監督:カティア・ルンド
製作:アルドレア・バラタ・ヒベイロ、マウリシオ・アンドラーデ・ラモス
原作:パウロ・リンス
脚本:ブラウリオ・マントヴァーニ
撮影:セザール・シャローン
編集:ダニエル・レゼンデ
音楽:アントニオ・ピント、エド・コルテス

出演: アレクサンドル・ロドリゲス、レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ、セウ・ジョルジ、アリシー・ブラガ、ドグラス・シルヴァ、ダルラン・クーニャ


「シティ・オブ・ゴッド」は今回で二度目の鑑賞。

前回観たときよりも数倍楽しめた。
まぁ、観たのが中学だか高校の頃だから覚えてないというのもあるだろうし…。

カメラ、編集、ストーリーとクオリティがかなり高い。
斬新な映像美で、展開も小気味良く描かれていくのだが、ストーリーはかなり現実的。
だがブラジル、リオデジャネイロの乾いた空気感や臭い、雰囲気なんかにとてもマッチしていて全然浮いていなかった。

しかも本作、パウロ・リンスという作者の同名ノンフィクション小説らしいのだが、オリジナル脚本であるように思えるほどすっきりとまとまっている。

本作「シティ・オブ・ゴッド」はテレビドラマ版と2007年に映画化した「シティ・オブ・メン」という作品があるのだが、そちらもかなり評価が良いので観てみたい。

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ORPHAN(邦題:エスター)
2009年 アメリカ 123分

監督:ハウメ・コジェ=セラ
製作:ジョエル・シルヴァー、スーザン・ダウニー、ジェニファー・デイヴィソン・キローラン、レオナルド・ディカプリオ
製作総指揮:スティーヴ・リチャーズ、ドン・カーモディ、マイケル・アイルランド
原案:アレックス・メイス
脚本:デヴィッド・レスリー・ジョンソン
撮影:ジェフ・カッター
プロダクションデザイン:トム・マイヤー
衣装デザイン:アントワネット・メッサン
編集:ティム・アルヴァーソン
音楽:ジョン・オットマン

出演:ヴェラ・ファーミガ、ピーター・サースガード、イザベル・ファーマン、CCH・パウンダー、ジミー・ベネット、アリアーナ・エンジニア、マーゴ・マーティンデイル、カレル・ローデン、ローズマリー・ダンスモア

友人から「ファニー・ゲーム」以来の胸糞悪さと聞いて期待した「エスター」だが、これは胸糞悪いというよりもよくできたホラー映画程度の印象であった。

「ファニー・ゲーム」の怖さというのは不条理で、理由がない故にあの恐怖を感じる。
まるで虫を殺すように眉一つ、鼓動乱さず理由なき殺人を犯す犯罪者に観客は戦慄くのだ。
まるで神がくだす罰のような、それほどまでに超越した次元に存在している犯罪者たち。
そこに理由が生じては「ファニー・ゲーム」はこれほど身震いするほどの恐怖は感じなかったはずだ。

だが「エスター」には理由が生じてしまっている。
登場する少女が純粋無垢でありながら死に、殺人に、人が慄く顔に見入られて殺人を犯すのならばこれほど怖い映画はなかっただろう。だが、「エスター」は理由ある殺人を犯してしまっている。
私利私欲のために、殺人を犯していく少女の姿は衝撃的だろう。
だが、ラストで描かれる事実には唖然としてしまう。
これは余計な設定を付け加えないほうが良かったのではとホラー映画ファンからの声が聞こえてきそうだが、自分も同意見だ。

実はエスターが大人だなんていう設定ははっきり言ってゴミカスのような設定だ。その何が面白いのだろうか? 子供の恐怖を描いて終わらせていたほうがよっぽど衝撃的で面白かったはずなのに、実は30オーバーのオバサンでしたなんていうオチには思わず失笑と「は?」と呟いてしまった。

そしてそれ以降はエスターが可愛い少女ではなくてただの卑しいオバサンにしか見えない。
何て勿体無い結末を用意したのだろうか…。

あれは大人であっては成立しないのに…。

ここまで書いたがこの作品は佳作程度の作品だ。
つまらなくはないが秀作と言うほどではない。

子供の恐怖を感じたいのなら他の作品を観るべきである。


それにしても今レビューを書いていて気づいたのだが、製作がレオナルド・ディカプリオってことに驚いた。

73点 / 100点



TSOTSI(邦題:ツォツィ)
2005年 南アフリカ / イギリス 95分

監督:ギャヴィン・フッド
製作:ピーター・フダコウスキ
製作総指揮:ロビー・リトル
原作:アソル・フガード
脚本:ギャヴィン・フッド
撮影:ランス・ギューワー
編集:ミーガン・ギル
音楽:マーク・キリアン、ポール・ヘプカー

出演:プレスリー・チュエニヤハエ、テリー・フェト、ケネス・ンコースィ、モツスィ・マッハーノ、ゼンゾ・ンゴーベ、ZOLA、ジェリー・モフケン、イアン・ロバーツ

その日暮らしの生活をする不良グループのリーダー、ツォツィ(不良)は生きていくためには人を殺すことも辞さない。
ツォツィはある日、高級車に乗った女性を銃で撃ち、車を盗む。
車内にある金目の物をバッグに入れていると後部座席から子供の泣き声がする。後ろにはまだ生まれてまもない赤ん坊が乗っていたのだ。
ツォツィは幼少時代の辛い過去があるから子供をそのままにしておくことができなかった。紙袋に入れて家に連れて行ってしまう。
だが、育て方などまったくわからなく、その日暮らしのツォツィに子育てなどできるはずもない。
近所に住む子供を持つ女性を脅して搾乳させたり、車を盗んだ女性の家に行き哺乳瓶とミルクを盗んだりと罪を犯しつつも何とか赤ん坊を育てようとする。
赤ん坊の姿を見ているうちにツォツィに良心が生まれていく…。


アフリカの現実を極めてリアルに切り取ってある。
犯罪の横行に、激しすぎる格差、HIVの問題にストリートチルドレン。
日本にいれば目にすることなどほとんどない辛すぎる現実がアフリカでは日常のよくある風景の一つなのだ。そんな世界では生き延びることが第一で他人の命に関心など持たない。
それこそ犬のように獣にまで堕ちても生きていくしかない。

ツォツィは自分より下であろうホームレスで障害者の男に問いかける。
「なぜ、犬のようになってまで生きているのか」と。
男はこう答える。
「俺は太陽の光を感じたい」と。
その言葉は生きることを考えなかったツォツィには強烈な言葉だっただろう。
ツォツィはこの言葉で生きることを受け入れようとしたのだろう。

ラストでツォツィの選択には人間らしさが感じられた。
少し前までは人の命に関心など持たず、他人を犠牲にしてでも生きていくことを選択したツォツィがラストでは赤ん坊を大事に抱きかかえているのだ。


人間らしさを取り戻したツォツィの目は以前のような人を殺しても何も感じないような眼ではなくて、優しい眼であった。


アフリカの社会問題をここまではっきりと描きながら、一人の少年のドラマとしても十分に優れていた。
アカデミー賞に十分匹敵する秀作であった。

78点/100点


THE INCREDIBLES(邦題:Mr.インクレディブル)
2004年 アメリカ 115分

監督:ブラッド・バード
製作:ジョン・ウォーカー
製作総指揮:ジョン・ラセター
脚本:ブラッド・バード
音楽:マイケル・ジアッキノ

声の出演:クレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター、サラ・ヴォーウェル、スペンサー・フォックス、エリザベス・ペーニャ、ブラッド・バード、サミュエル・L・ジャクソン、ジェイソン・リー、ウォーレス・ショーン


スーパーヒーローが皆に求められているわけではない。
スーパーヒーローは自らの罪を認め、一般人に戻るべきだ。

15年後。ロバート・パーはMr.インクレディブルというヒーローとしての顔を隠して、一般人らしく会社勤めをしている。
過去のヒーローとしての偉業に誇りを持ち、Mr.インクレディブルとしての人生を捨てることができない。未練を残したままストレスに塗れた会社勤めを我慢して続ける。
たまに昔なじみのヒーロー仲間と人助けをしに街へ出るが、ヒーローは認められていないために強盗のように覆面姿で人助けを行なう。それも強盗だと勘違いされて、秘密のヒーロー活動もできなくなってしまう。
自分に残されたのはヒーローとしてのパワーを受け継いだ家族たちと過去の偉業だけなのか。
そんなときにミラージュと呼ばれる謎の人物から昔のようにヒーローとして活躍してみないかと接触される。
過去の偉業、そして現在の生活に満足できないロバートには願ってもないチャンスだった。その日からロバートは家族に内緒でMr.インクレディブルとして秘密裏に活動していくが…。


ヒーローが必要とされない社会というのが面白い。
WATCHMENやハンコックのようにヒーローでありながらヒーローらしくないアンチヒーロー的な要素を持っているのならばMr.インクレディブルが淘汰されるのも仕方がない。
だが、Mr.インクレディブルは純粋なヒーローだ。人を助けることに生きがいを感じている。
なのに世間はヒーローはいらないのだと言う。
ヒーローが動けば街は壊され、自殺をするのを邪魔される。
ヒーローなんかに助けてもらいたくない!
皆の意見はそうなのだ。

スーパーヒーローの姿ははっきり言えば理不尽なのかもしれない。人助けとは言っても街はボロボロに壊される。そんな様子を様々なヒーローから見てきた。
ヒーローの理不尽な姿から生まれたのが本作のような印象を受ける。
だからヒーローの理不尽な行いに人々は「NO!!」と叫んでいる。
そんな社会でヒーローとしての生き方に未練を残している主人公が面白い。

逆に過去にイラスティガールとして活躍したロバートの妻ヘレン・パーは意外とあっさりと一般人に戻ることを認めてしまっている。
恐らく子供の存在があるからなのだろうがヒーローにはまったく未練はなさそうだ。
ここに男と女の差というのも感じられて何だか妙に納得してしまった。笑

そんな2人も家族の危機に立ち上がり家族全員で悪と戦うことになる。
それまでが主人公たちの心のアクションが主だったのに対してここからは視覚的なアクションが大きくなる。
迫力あるアクションシーンでアニメだからこそできた演出である。

本作は泣けるシーンや演出はほとんどない。
それでも家族たちの助け合いや主人公の葛藤にはどこか胸が熱くなる。そして笑えるエッセンスも存分に撒かれており全編退屈することはなかった。
さすがピクサーといったところだろうか。
十分に楽しめ、満足できる作品だった。


75点/100点


BEFORE SUNRISE(邦題:恋人までの距離<ディスタンス>)
1995年 アメリカ 102分

監督:リチャード・リンクレイター
製作:アニー・ウォーカー=マクベイ
製作総指揮:ジョン・スロス
脚本:リチャード・リンクレイター、キム・クリザン
撮影:リー・ダニエル
編集:サンドラ・エイデアー
音楽:フレッド・フリス

出演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー、アーニ・マンゴールド、ドミニク・キャステル、ハイモン・マリア・バッテンガー、アンドレア・エッカート、ハンノ・ポーシェル


列車の中で偶然、出会った男女。
ジェシーはスペインで彼女に別れを告げアメリカに帰るまでの2週間、列車で旅をしている途中だった。
セリーヌは祖母に会いに行ってきた帰り。これからパリへと向かう途中であった。
2人は意気投合してジェシーがアメリカに帰るまでの1日、ウィーンで付き合うこととなる。


とにかく本作はセリフの妙、これに尽きる。

ほとんど動きのないカメラ。
2人はウィーンの街を当てもなく歩き回るだけ。
カメラはそれを追うだけ。もちろんカット数も少ない。
それなのにとても魅力的なドラマがこの映画にはある。
取りとめもないような会話なのに、ジェシーとセリーヌの価値観やそれまでの人生がセリフによって見えてくる。
そしてお互いに惹かれあってることも小さいアクションとセリフで見えてくる。

このままずっと続けばいいのに…。
2人が結ばれて映画的な展開があればいいのに。そう思うのだが、2人が一緒にいられるのは明日の朝まで。
もどかしい。もどかしすぎる。

ラストは光あるものだったかな。それでもこのラストは切ないな。
ビフォア・サンセットで2人のその後がわかるわけだが、ハッピーエンドを願うばかりだ。

恋愛映画が苦手な人でもこれは観るべきだ。
セリフがこんなにも魅力的な映画は久々に観た気がする。

90点/100点

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