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ほとんど趣味のことを綴るブログ。

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Megadethをある程度知るにはこの1枚で十分だ。
デイヴ・ムステイン本人とファン投票から選曲された全17曲には捨て曲なんて一切ない。まさにベストの中のベストといった作品だ。
自分はこの作品以外にMegadethは聴いたことはない。
もちろんこれだけでMegadethのすべてを語れるはずなど到底ないのだが、それでも代表曲、人気な曲だけ一通り聴きたいという欲求は十分に満たしてくれる。

収録曲はこの17曲。
1. Holy Wars...The Punishment Due
2. In My Darkest Hour
3. Peace Sells
4. Sweating Bullets
5. Angry Again
6. Tout le Monde
7. Trust
8. Kill the King
9. Symphony of Destruction
10. Mechanix
11. Train of Consequences
12. Wake Up Dead
13. Hanger 18
14. Dread and the Fugitive Mind
15. Skin o' My Teeth
16. She-Wolf
17. Prince of Darkness

各局のオリジナルアルバム。
1、13.「RUST IN PEACE」('90)
2.「SO FAR,SO GOOD…SO WHAT!」('88)
3、 12.「PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING」('86)
4、9、15.「COUNTDOWN TO EXTINCTION」('92)
5.「HIDDEN TREASURES」('95)
6、11.「YOUTHANASIA」('94)
7、16.「CRYPTIC WRITINGS」('97)
8.「CAPITOL PUNISHMENT:THE MEGADETH YEARS」('00)
10.「KILLING IS MY BUISINESS...AND BUSINESS IS GOOD!」('85)
14.「THE WORLD NEEDS A HERO」('01)
17.「RISK」('99)


収録曲は多岐に渡る。そして2nd~8thの曲はリミックスVerであるというのも嬉しい。

このアルバムだけでMegadethを語るなんておこがましいことはできないが、このアルバムからMegadethの魅力に気づくこともあるだろう。
まだMegadethを聴いたことがない。興味あるって人はこのアルバムから入ることをオススメする。

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INGLOURIOUS BASTERDS(イングロリアス・バスターズ)
2009年 アメリカ 152分

監督:クエンティン・タランティーノ
製作:ローレンス・ベンダー
製作総指揮:エリカ・スタインバーグ、ロイド・フィリップス、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン
脚本:クエンティン・タランティーノ
撮影:ロバート・リチャードソン
プロダクションデザイン:デヴィッド・ワスコ
衣装デザイン:アンナ・B・シェパード
編集:サリー・メンケ
出演:ブラッド・ピット、メラニー・ロラン、クリストフ・ヴァルツ、ミヒャエル・ファスベンダー、イーライ・ロス、ダイアン・クルーガー、ダニエル・ブリュール

戦争映画というのは難しいもので史実を歪めてしまうと非難の的になる。
ナーバスな問題なので観てるこちら側もいつしか史実を辿らない映画に対して妙に批判的になってしまう。
それはそれでしょうがないという気もしてしまうのだが。

しかし、あの映画界の異端児クエンティン・タランティーノが戦争映画をやるというのだから公開前からヒヤヒヤしていたのだが、いざ観てみるとまったくタランティーノは……。
「ふざけんな! 歴史歪めてんじゃねぇか!!」などという批判はできそうにない。なんたってタランティーノなんだから。最初からこうなることはわかっていたのかもしれない。
しかし、これで納得してしまう(いや、せざるを得ない)のだからしょうがない。


毎度のことだがタランティーノ監督は最初の10分が秀逸だ。
オープニングシーン。
ナチス占領下のフランス。のどかな村にジープの音が近づいてくる。そこに住むラパディット一家はジープから降りてきた男ハンス・ランダ大佐を家に迎え入れる。大佐は別名”ユダヤ・ハンター”という渾名を持つほどユダヤ人を殺してきた冷血漢だ。
大佐は行方不明のユダヤ人一家の家族構成だけを教えてもらいにきただけだと言うが、ラパディット一家の床下にユダヤ人一家が隠れていることに気づき白状させる。
部下をラパディット家に呼ぶと床下に銃弾を撃ちまくる。

このオープニングシーンでの会話のやり取りが絶妙だ。フランス語でラパディット家の主人に話しかけフランス語は苦手なんだ。英語で話してくれと諭し、ユダヤ人に気づかれないように英語でどこに隠れているのかを聞きだす。
アクションシーンでも何でもないのに、何てスリリングで緊張感に富んだシーンだろう。
その後も映画全編通してドイツ語、英語、イタリア語、フランス語と様々な言語が飛び交っていく。
アメリカ映画に多い言語を無視したキャラクターのバックグラウンドの薄さが本作にはまったくない。

本作は傑作とまでは言い難いがタランティーノ監督の一つのターニングポイントになることは間違いない。
歴史と映画の壁をぶち破った先、何を作ってくれるのか…。ますますタランティーノ監督のこれからが気になるところだ。



Belle And Sebastianはここから始まった。
『Tigermilk』と題されたそのCDは1000枚だけの限定プレスされたCDである。
それも音楽業界で生まれたアルバムではなくてグラスゴーのストゥ大学生まれたのだ。
ミュージックビジネスを学ぶ学生たちがレコード製作の実習の対象に選ばれたのがBelle And Sebastianだったのだ。
それが幻のアルバムと言われるようになるとは誰が予想しただろう。

授業の一環で生まれた半端な音楽作品などとは決して言えない今のBelle And Sebastianにも通ずるポエティックな詩的音楽世界が広がっている。

Belle And Sebastianファンは必聴と言ってもいい。
胸が痛くなるように切ないセンチメンタルな曲がこのアルバムにも詰まっている。



”核”というテーマを根元にシリーズを作り続けてきたメタルギアシリーズの最新作である『Metal Gear Solid Peace Walker』はメタルギアシリーズの根本にある”核”というテーマと随伴して相反関係にある”平和”がテーマとなっている。
それは小島作品のある意味一つの到達点とも言える作品のように思えるのだが、しかしここ最近の小島作品を改めて見返すとその心配は自ずと高まってしまう。

PS2までのメタルギア作品のクオリティは確かに高かった…というよりも2作目にあたる『Metal Gear Solid 2 Sons Of Liberty」が余りにも杜撰な作品だったにも関わらず、それを帳消しにしてしまうほど3作目『Metal Gear Solid 3 Snake Eater』が素晴らしすぎた。それ故にPS2時代に出たMetal Gear Solidシリーズが素晴らしかった印象を受けてしまうのだが…。

しかし次世代機であるPS3で発売された『Metal Gear Solid 4 Guns Of Patriot』はMetal Gear Solidシリーズの完結作品であると言われ、発売前に配信された予告動画には期待せざるを得なかったのだが、いざクリアしてみると何とも中途半端なB級作品に仕上がっていた。巷で言われるムービーが長すぎるという評価は個人的には気にしていない。それ以上に基礎であるストーリーを評価できないのである。

そしてPeace Walker以前にPSPで発売されている『Metal Gear Solid Portable Ops』の陳腐で幼稚なストーリー。

ここ最近の小島作品からはPeace Walkerも大きすぎる期待を得ないようにしていたのだが…。

やはり本作も何とも中途半端な作品であった。

ここ最近の小島作品の「やりたいことが多すぎてまとめきれていない」という特徴を本作も引きずっており、ストーリー以上に他の要素に手を出しすぎたがために何だか納得のいかないストーリーとなっている。
そして時代背景と自作のMetal Gear Solidシリーズの時代背景に食い違いが起こっているのだ。

”平和”そして”核”というテーマを伝えようとする姿勢は高く評価できるのだが、それを薄めるようなつまらない要素ははっきり言っていらなかった。


小島監督は自らの作品をもう一度見つめなおす必要があると感じる。
ネームバリューだけ肥大化していく、この自己満足作品は次作ライトニングボルトアクション「Metal Gear Solid Rising」で極まることになるのだろうか…。



厭だ。
小説の幕開けはこうだ。
まるで小説全体がジメジメとした不快感を放っているのだと諭すようなその幕開け。
そしてぱっと見た感じでは触るのすら拒絶したくなる黴た装飾をされた表紙。
外見は全てが厭な気分になりそうなほど不快に満ちた本なのだが…。

しかしこの「厭な小説」と題された本にそれほどの厭さを感じるだろうか?
個人的には厭ではなくて嫌である。
単純に物事が嫌いなことにこの「嫌」という感じが使われ、受け入れたくない、この小説ならばページを開くのも厭であるという場合にこの「厭」という漢字が使われる。
しかし個人的には何だか肩透かしを食らったような、期待とは裏腹な印象を受けてしまったのだ。

京極夏彦の小説でも『嗤う伊右衛門』や『姑獲鳥の夏』のような耽美で、ページを開くのも億劫になりそうなじっとりとした不快感を感じるものかと思っていたのだが『厭な小説』はそうではなくて、何だかあっさりとした刹那な不快感を感じるのだ。
これは「厭」ではない。
いやはっきり言って物足りないのだ。
もっともっと不快にさせてくれ! そう思っても何だか中途半端に不快になって終わってしまう。

もしかしたら京極夏彦はそれが狙いなのだろうか?
そうなのだとしたらある意味で成功ではあるが、やっぱり個人的には物足りないのだ。

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